画像【
2016年】【
2017年】
●矢島舞美・中島早貴・鈴木愛理・岡井千聖・萩原舞の5人からなる。
●結成時よりリーダーは矢島。
●「℃-ute」の発音はアクセントをつけずに「キュ→ト」と抑揚のないフラットな発音が正しい。
●2014年11月にモーニング娘。の道重さゆみ、2015年3月にBerryz工房が無期限の活動停止に入ったため、ハロプロ内で初めてモーニング娘。より序列が上になった。
●娘。道重卒業に伴い、ハロプロのリーダーは矢島が務めている。※娘。メン以外が務めるのは初
●ライブ前の気合入れ。円陣を組み、年功序列順にそれぞれ名前を言いながら右手を重ねていき「○人揃って弾けるぞい!」と言った後にハイタッチを交わす。
・5人体制時
矢島:せーの!
全員:キュートー!
矢島:まいみ!
中島:さき!
鈴木:あいり!
岡井:ちさと!
萩原:まい!
矢島:5人そろって〜
中島:はじける
全員:ぞ〜い!
●同じハロプロキッズメンバーによるベリーズ工房より結成が1年遅く、メジャーデビューに関しては約3年も遅い。そのため、℃-uteメンバーは”余り物”と評されることもあるが、第2弾ユニットを作るために温存されていたともとれる。
●9月10日を”℃-uteの日”として毎年イベントを開催。キューティーガールズ、DJマイマイ、中禅寺ナキ子などのキャラクターによるコントなどが定番だったが、2013年から方向性がガラリと変わった。
●2010年頃から矢島が「武道館でライブがしたい!」と願望を述べるようになったが、当時の動員数から見ても到底実現不可能だととられていた。しかし、地道な努力が実を結び、2013年に実現した。
●2011年頃から、中島が岡井を”岡さん”と呼んだことにはじまり、メンバー間で苗字の頭に”さん”をつけて呼び合うことが増えた。やじさん、中さん、お鈴さん、岡さん、萩さん。
●2011年から2012年にかけて、「℃-uteのパフォーマンスはアイドル界No.1」などと言われるようになる。
●2012年頃から℃-ute、スタッフ、ヲタを含めて”チーム℃-ute”と呼びはじめるようになった。そのはじまりは2011年の春ツアー「超超ワンダフルツアー」での鈴木のMC。※岡井によると本当の発祥はスタッフとのこと
●歌割りは鈴木がメインで、次いで岡井、矢島。トークでは萩原・岡井が目立ち、仕切り役は中島が多い。
●結成前の”余りモノ”扱いと無告知イベントで味わった苦渋の経験のせいか、メンバー全員低姿勢な傾向にある。
●用意された弁当は遠慮しあって譲り合う傾向にあるらしい。
●2010年4月16日からGREEでブログを開始、2015年3月21日からAmebaブログもはじまった。
●2005年6月11日、安倍なつみのコンサートに帯同していた7人で新ユニット”℃-ute”が結成されたことが発表された。2006年5月に「まっさらブルージーンズ」でインディーズデビュー
●2006年6月11日、デビューから結成一年目となるこの日、湘南のショッピングモールで無告知イベントを開催した結果、観客が2人、CDは10枚しか売れなかったという。※無告知は会場側からの要請
●2006年1月2日「Hello! Project 2006Winter〜ワンダフルハーツ〜」(中野サンプラザ)にて当時ハロプロエッグだった有原栞菜の加入が発表された。一方、同年11月には中心メンバーだった村上愛が脱退。
●2007年2月。「桜チラリ」にてメジャーデビューを果たし、この年の日本レコード大賞、最優秀新人賞受賞。紅白歌合戦にも出場した。
●2009年7月。有原、11月に梅田が卒業したことでデビュー時の8人から5人となる。動員力も伸び悩み、存続危機とまで言われるようになる。
●2010年8月。発売した通算17枚目のシングル「Danceでバコーン!」の曲調とともに勢いを取り戻し、岡井の「本人が踊ってみた」動画などの影響もあり徐々に注目される。
●2013年9月9日。初の日本武道館公演。9月10日の”℃-uteの日”に念願の武道館公演と思われたが、売れ行きが好調ということで、前日の9月9日が初の武道館公演になった。ちなみに、これはちょうど100公演目というメモリアルでもあった。ちなみに2012年の同イベント会場はSHIBUYA-AXだった(収容最大人数。SHIBUYA-AX:約1700人、武道館:約10000人)。※SHIBUYA-AXは昼夜2公演開催
●2015年6月11日。結成10年目のこの日、初の横浜アリーナ公演が開催された。
●2017年6月12日。初のさいたまスーパーアリーナ公演開催とともに解散。